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ノウアスフィアの開墾とWordPress

WordPress Advent Calendar 2013 全部オレ 6日目の恐らく俺です。

3日目の「伽藍とバザールとWordPress」と同じような感じで、「ノウアスフィアの開墾」から大量に引用しつつ「WordPressでもそうだよねー」的な何かを書いてみます。

で、「ノウアスフィアの開墾」というのはエリック・レイモンドによって書かれた「オープンソースソフトの所有権とコントロールをめぐる実際の慣習を検 討」し「ハッカー文化を「贈与文化」として分析する」論文で、オープンソース4部作(「伽藍とバザール」「ノウアスフィアの開墾」「魔法のおなべ 」と4作目はまだ!未発表らしいw)の第2部です。

所有権?というと、例えば、自由に改変して再配布できるオープンソースソフトウェア(以下FLOSS – Free/Libre Open Source Software)のWordPressは誰かが値段をつけて売ることも可能ですし、フォークして独自に配布することも可能です。これはライセンス上も まったく問題ありません。でもFLOSSの世界では、そういったことはほとんど起こりません(100%とは言いませんが)。この論文ではこういったことがなぜ起こらないのかをロックの土地保有に関する理論と類似しているとして説明しています。

また、これと関連して、FLOSSへの参加者たちがなぜ無料で自分たちのエネルギーと創造性を提供するのかを「贈与文化」として分析しています。「なぜ無償で開発や、翻訳を続けるのですか? WordPress界隈のみんなに聞いてみた。 | WP-D」ではわたしは「惰性」としか答えてませんがw、この分析はわたしにも当てはまるような気がします。

FLOSSに関して、みんながなんとなく暗黙の了解みたいな感じで共通認識として持っていたことを平易に明文化しているので、FLOSSの開発者側やコミュニティ運営者側の方たちで同じようにもやっと感じてる方は読んでみるとよいですよ。

2 ハッカーイデオロギーのさまざま

すごく反商業主義的な人間はこういうだろう。「商用ソフトは窃盗行為で秘匿行為だ。ぼくがフリーソフトを書くのはこの悪行を止めさせるためだ」。そこそこ 反商業主義的な人間はこういう。「商業ソフトそのものはおおむねOKよ。だってプログラマには対価が支払われるべきだもん。でも、いい加減な製品にあぐら をかいて、数をたのみにごりおししてまわる企業はろくでもないわね」そして反商業主義でない人間ならこういう。「商用ソフトだってよいではないの。ぼくが オープンソースソフトを書く/使うのは、そっちが好きだからってだけよ」

わたしは3番目かな。とはいえ、これが書かれたのは10年以上前で「商業ソフト」イコール「クローズドなソフト」とみなしているようなので、現状とはちょっと離れてきてはいる。いまならオープンかつ商業的にも成り立っているソフトウェアもあるので、イデオロギー的にはもっとバラけてるのではなかろうか。

 実際問題として(そして「だれでもなんでもハックできる」という合意があるという理屈とは正反対に)、オープンソース文化は入念ながらほとんど認 識されていない所有権の慣習を持っている。この慣習によって、だれがソフトを変更できるか、どういう状況でそれが変更できるか、そして(特に)だれが変更 バージョンを再配布してコミュニティに戻せるか、が規定されているんだ。

ある文化の禁忌(タブー)は、そこでの規範をシャープに浮かび上がらせる。だから、だいじなタブーをここでまとめておくと、あとあと役にたつだろう。

  • プロジェクトの分岐に対してはすごく強い社会的な圧力がある。どうしてもこれが必要なんだという請願のもとで、世間に対してもその行為を正当化する訴えがたくさん行われ、そしてプロジェクトの名前も変えない限り、それは起こらない。

  • プロジェクトへの変更を、モデレータたちの協力なしに行うといい顔をされない。ただし、基本的に些末な移植上のフィックスなどはのぞく。

  • ある人の名前をプロジェクトの歴史やクレジットや管理者リストからのぞくのは、当人のはっきりした合意なしには絶対に行われない

どっかに成文化されてたわけじゃなく、共通認識として自然と形成されていたっていうのが興味深い。

4 所有権とオープンソース

ある物件が無限に複製可能で、いくらでも変えられて、そしてそれをとりまく文化が脅せるような権力関係や財の希少性に基づく経済に基づいていないとき、なにかの「所有権」を持つっていうのはどういうことだろうか。

実はオープンソース文化に関するかぎり、この質問には簡単に答えられる。ソフトウェア・プロジェクトの所有者というのは、変更したバージョンを公式に再配布する独占的な権利をコミュニティ全般から認められている人物である。

(この章で「所有権」を論じるときには、その所有者については単数形を使う。これだとまるですべてのプロジェクトは一人の人物が所有しているかのようだ けれど、プロジェクトをグループで所有している場合もあるということは承知してほしい。こういうグループ内の力学についても、この論文で見ていくことにする。)

そう、コミュニテイがそう認識してるから成り立つ。「お金」に価値があるのは、みんなが「お金」には価値があると認識している(からにすぎない)というのと似ている。

5 ロックと土地所有権

この生成パターンを理解するには、ハッカーの通常の関心領域をはるかに離れて、こうした慣習と歴史的に類似した例を見るのが役に立つ。法 制度史や政治哲学を学んだ人ならお気づきのように、ハッカーたちが暗に主張している所有理論は、英米慣習法における土地所有権の理論とほとんどまったく同 じなんだ!

この理論では、土地の所有権を獲得する方法は3つある。

この3つの方法とは「未開の地を開拓する」「譲渡される」「遺棄された土地は、占拠によって所有権の主張を行える」。ソフトウェアで言えば、この3番目のはFLOSSじゃなければ起こりえない。

6 贈与経済としてのハッカー文化

ぼくたちの社会はもっぱら交換経済だ。これは財の希少性に対する洗練された適応方式で、規模の変化にもよく適応する。稀少な財の配分は、交換と自発的な協力によって非中心的に行われる(そして実は、競争の欲望がもたらす最大の効果は協力行動を生み出すことだ)。交換経済では、社会的地位はおもにもの(必ずしも物質的なものとは限らない)のコントロールの大小で決まる。

現代のたいていの社会はほとんどが「交換経済」だが、FLOSSは文化人類学ではよく知られた「贈与文化」であると。

贈与文化は、希少性ではなく過剰への適応だ。それは生存に不可欠な財について、物質的な欠乏があまり起きない社会で生じる。穏和な気候と豊富な食料 を持った経済圏の原住民の間には、贈与経済が見られる。ぼくたち自身の社会でも、一部の層では観察される。たとえばショービジネスや大金持ちの間でだ。

過剰は上意下達関係を維持困難にして、交換による関係をほとんど無意味なゲームにしてしまう。贈与の文化では、社会的なステータスはその人がなにをコントロールしているかではなく、その人がなにをあげてしまうかで決まる。

そして、

オープンソース・ハッカーたちの社会がまさに贈与文化であるのは明らかだからだ。そのなかでは「生存に関わる必需品」――つまりディスク領域、ネットワー ク帯域、計算能力など――が深刻に不足するようなことはない。ソフトは自由に共有される。この豊富さが産み出すのは、競争的な成功の尺度として唯一ありえ るのが仲間内の評判だという状況だ。

「仲間内の評判」! い、いわれてみばそのとおりだわw。

と、ここまで読んできたところで、今日は時間切れ。続きが気になる人は本文を読んでください。

ちなみにこの論文はあの「ただただし」さんをして

個人的に(そうきわめて個人的に)面白かったのは「ノウアスフィアの開墾」で、最初に読んだときはあまりに「おれたちの」文化を赤裸々にしているさまにカ チンときたものだが、さすがにこの歳になると客観視できるというか、実によくできた文化人類学的なフィールドワークレポートだね、これは。なんでカチンと きたかというと当時は文化人類学者に観察される一方の未開人の立場だったのが、今では立派な文明人になったからだな(笑)。そんな読み手の個人的な変化が 面白かった。

と言わしめているのでヨロシク。

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